Fragment

羨ましいとは誰もが持つ感情。
でも30歳を過ぎたころから、人の断片的な何かを見て羨ましいとは思わなくなった。

例えば、大金持ちがいたとする。
その人は大金持ちになるまでにいろんな苦労があるかもしれないし、今だって人間関係に悩んでいるかもしれない。

現に今まで出会った羨ましいと思う人は、裏側で大きなプレッシャーと戦っていたりリスクと戦っていたり、病をもっていたり、人間関係がうまくいかなかったり、家族と離れていたりと、なにかしら見えない部分で苦労がある人が多かった。

僕はたぶん人間関係には恵まれているので、今まで自分が憧れた人にはほとんどお会いして話すことが出来きたけど、裏側を見ると憧れていた理想とはやはり違う。でも憧れは変わらない。

自分で言えば、20代は毎月海外に行く生活を繰り返していたので、知人には羨ましがられることが多かったけど、大きなプレッシャーと寝ることも出来ずに働き大変だった記憶のが大きい。今だってたまに海外に行けば、タイトなスケジュールで、実際一緒に人が付いてきたら、こなせるような仕事量では無いと思う。でもその経験が財産にはなっている。

物事には表と裏があるし、すべてを手に入れるのなんてほぼ不可能。

逆に言えば、辛い時や悲しい時もずっとは続かなくて、時間が経てばいつか幸せなことが起こるものだと思う。

羨むような嫉妬心を自分のエネルギーに変えることができない場合は、嫉妬心はどこかに捨ててしまって、ささやかな幸せを分かち合える人たちと接していくのが、幸せの近道のような気がしています。
ささやかな幸せの断片をかき集めたい。

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【Hiroyuki Miyata】